特別寄稿

「これからの大学の姿と、大学が求める学生―自分を見つけようとする、まっとうな人」

筑波大学教授  辻中 豊

 

これから5年、10年後、大学を目指す子供たちはどのように「大学というもの」に備えればいいのか、考えてみましょう。まず大学がどのように変わっているか、予想してみましょう。

 

実は、大学自体がずいぶん大きな変化を遂げているかもしれません。

 

日本の大学は、戦後1948-9年に新制大学として出発し、その後、量的に拡大しながら、2004には国公立大学が国公立大学「法人」として組織形態をやや自立させたのですが、ほぼ半世紀前に今私たちが知っているような大学の姿と配置になってから、これまでほとんど変わってこなかったのです。

しかし、10年後、大学は2つの方向で大きく変わっているでしょう。一つはその姿と形です。もう一つはその中身です。

姿と形では、大学同士の大型合併が10年後には生じているかもしれません。「2018年問題」といわれる18歳人口の減少傾向と大学進学率の頭打ちのために、大学間の競争が激化しています。その結果、姿を変え、特に中身を魅力的なものに変えない大学は淘汰されます。ずいぶん大きな合併や提携が生じるでしょう。そうしたことのできない大学、特に中小規模の大学は吸収されざるをえません。専門学校も専門職業大学になっているかもしれませんし、ながらく「鎖国」を続けてきた日本の大学界も、本格的な海外大学提携に進んでいるでしょう。 

キャンパスの姿形、つまり学部や大学院といったものは、間違いなく大きく姿を変えています。「2045年問題」が言うようにコンピュータの能力が人間を超えるかどうかはともかく、モノのインターネットInternet of ThingsIoT)化が進み、「スマート社会」に変わっていくために、大学の中でも、従来の学問とそれらを横断し新しい世界に対応する学問が文理融合、学際学融合、先端研究などの掛け声のもと進んでいきます。

 

なにやらカタカナ語や新語が飛び交い、騒々しいですね。

 

大学の中味はどうなっているのでしょう。どうやらビジネス界で1990年代以降に生じたような組織間のリストラが大学の中でも進み、強いか、もしくは魅力のある学部や大学院だけが残っているのでしょう。大学は、これまでにない思い切った内部の改造や入試の改革を済ませているでしょう。前々から問題視されていた暗記をして正確に憶えるタイプのテストから、柔軟に独創的に考える能力を重視するタイプのテストに変わっているでしょう。

 

掛け声はいいのですが、5年後10年後の若者は、いったい何に備えればいいのでしょう。大人社会の都合(財政難とかグローバル化とか)で、教育システムを変えるのは仕方ないでしょうが、今の子供たちの身になってみると、今どうすればいいの?というのが正直な感想ですね。

こういう騒がしいかもしれない時代に大切なのは、どこから押し寄せてくるかもしれない波に乗ろうとすることより、「自分が大切ですよ」、と言いたいと思います。

何度か書いてきましたが、グローバル人材とは、まっとうにまっすぐ多様ないろいろな人に接することができ、対話し、自己をしっかり主張する(これは重要です)とともに、相手の主張も聞ける人でした。世界はますます複雑に相互作用をしていきますし、世界の人々の背景はまさに多様です。しかし、実は日本という空間、社会、歴史、そこでの活動は十分、世界の多くの人々にプラスの価値をもたらすことが可能です。

大学は確かにグローバルに、また多様な人が学ぶ空間になるでしょう。学問の姿形や中身もどんどん変わるでしょう。

しかし、大学がいかに変わろうとも、人が学ぶということには変わりはありません。学ぶためには、自分から学びたいと思う素直な心が必要です。毎日の暮らしの中で、学ぶための「不思議を感じる心」[1]を育てることが大切でしょう。

なにがまっとうな人なのでしょう。つまりは、中学卒業レベルまでの基礎知識をしっかり身につけて、その上で、自分の意志目標を持って、他の人とコミュニケーションしつつ、自分の不思議を探求しつつ、自分の道を歩む人です。

こうしたことは教えるのは難しいのかもしれません。そこで私は、大学に入った学生にも、留学生にも、大学院生にも、「研究ノートという名前の自分ノート」をつけるよう、強く勧めています。子供の時、私は文章を書くことも、本を読むことも、実は得意ではありませんでした。でも好きなことをしていたのでしょう。高校生になって初めて、少し好きな本を読み、少し文章を書くようになりました。結果的に大切なのは素直さなのかもしれませんね。

 

 



[1]ふしぎだと思うこと これが科学の芽です。よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です。
そうして最後になぞがとける。これが科学の花です。朝永振一郎の言葉。